CHAPTER1
地震・津波

01 海溝型地震と津波

  • 石巻市立門脇小学校(東日本大震災震災遺構)

    石巻市立門脇小学校(東日本大震災震災遺構)

    津波で延焼した建物や,ガソリンから引火した車体等が学校に押し寄せ3日間にわたって燃え続けたため,鉄筋コンクリートの校舎でもこのような状況になった。学校にいた児童は,津波到達前には校舎裏側の日和山方面へと避難が終わっており全員助かった。しかし自宅にいた児童は犠牲になった。

  • 南三陸町防災対策庁舎(東日本大震災震災遺構)

    南三陸町防災対策庁舎(東日本大震災震災遺構)

    鉄筋コンクリート建てではあったが,庁舎の屋上までの津波によって鉄筋のみが跡をとどめている。庁舎にいた職員43名が津波の犠牲となった。職員はこの庁舎から防災無線放送を用い,最期まで住民に向けて「津波が来ているので大至急避難するように」呼び掛けていた。

  • 石碑による津波伝来の教訓

    石碑による津波伝来の教訓

    近代に入っても三陸沖地震で発生した津波は岩手県の沿岸地域を繰り返し襲い,甚大な被害を与えてきた。そのつど石碑が建立され,次の世代に教訓を伝えている。この写真は,明治29年地震津波,昭和8年地震津波,さらに平成23年の地震津波の祈念碑が新たに加わった様子をとらえたもの。

  • 石巻市立大川小学校(東日本大震災震災遺構)

    石巻市立大川小学校(東日本大震災震災遺構)

    児童74名(自宅2名を含む),教員10名が亡くなり,一つの学校での最大の犠牲者を出した学校。現在も多くの人が訪れ,校舎の隣には資料館も建設されている。4名の児童は未だに行方不明である。後日見つかったそのうちの一人のランドセルからは,救えなかった命の悲しみが伝わる。

  • 稲むらの火の館

    稲むらの火の館

    和歌山県広川町にある。安政南海地震(1854)において村人を救った濱口悟陵(はまぐちごりょう)の自宅及び町の津波防災センターが,展示室・展示館として公開されている。周辺には広川堤防,廣神社等,「稲むらの火」のモデルとなった地域が整備されており,来るべき南海トラフ地震への備えを警鐘している。

  • 安政南海地震記念碑

    安政南海地震記念碑

    1854年の安政南海地震は大阪にも甚大な被害を与えた。津波が大阪湾に注ぐ多くの河川を遡上してきたため,沿川部は悲惨な状況となった。住民はこの時の状況を碑に記載し,後世への教訓として,碑に墨を入れることによって語り継ごうとしている。

  • 日本海中部地震と合川南小学校児童の祈念碑(男鹿半島)

    日本海中部地震と合川南小学校児童の祈念碑(男鹿半島)

    日本海側では大規模な地震津波は発生しないと言われていたが,1983年日本海中部地震で104名,そのうち津波で100名が犠牲となった。加茂青砂海岸に遠足に来ていた合川南小学校の児童13名も犠牲となった。写真は海岸近くに建立された祈念碑である。

02 活断層型地震

  • 阪神淡路大震災

    阪神淡路大震災

    20世紀の近代都市・神戸を震度7(当時)の巨大地震が襲い,圧死者が90%を超えるという建設物の崩壊状況に世界は震撼した。日本の高速道路は地震でも倒壊することがないと言われていたにも関わらず,名神高速道路は転倒したり,転落したりした。鉄筋コンクリートのビルも倒壊,傾斜するなど,地震のエネルギーの大きさを痛感することになった。

  • 記念館として保存された地震断層(淡路島・北淡町)

    記念館として保存された地震断層(淡路島・北淡町)

    兵庫県は阪神淡路大震災によって畑に表出した野島断層を,コーティングや屋根の取り付けによって保存しており,断層隣の2階建て住居(メモリアルハウス)と共に公開している。

  • 中越地震と斜面崩壊

    中越地震と斜面崩壊

    2004年新潟県の中越地域を中心に大規模な地震が発生した。山間部での斜面崩壊によって生じた土砂災害による被害が顕著である。道路が遮断されたため,多くの住民が山間部に孤立した。

  • 交通機関への影響

    交通機関への影響

    川口町の上越線の線路が,中越地震の衝撃によって地盤ごと曲がってしまった状況である。地域では約1ケ月,JRが不通となった。また時速200kmを超えて走行中の新幹線が脱線したが,大きな人的な被害は発生しなかった。

  • 2007年中越沖地震の発生

    2007年中越沖地震の発生

    2004年に起きた中越地震からわずか3年で,再び中越地域に大地震が発生した。木造住宅の倒壊,道路の陥没,柏崎刈羽原子力発電所の事故など,柏崎市を中心に様々な被害が発生し,多くの市民が避難生活を余儀なくされた。

  • 濃尾地震と根尾谷断層

    濃尾地震と根尾谷断層

    1891年に起きた濃尾地震は,マグニチュード8.0と世界でも最大級の内陸直下型地震であった。この濃尾地震では全国で7,273人が亡くなり,全壊・焼失家屋142,000戸と,近代日本に大きな衝撃を与えた。根尾谷断層は濃尾地震によって地上に現れたものである。現在もこの断層によって地層の垂直方向の変位を観察できる。資料館では断面を観察することもできる。

  • 北伊豆地震と丹那断層

    北伊豆地震と丹那断層

    1930年に起きた北伊豆地震によって生じた断層のずれが保存され,現在は丹那断層公園として整備されている。公園内では横ずれ断層の跡が明確に読み取れる。また,北伊豆地震の痕跡を保存した火雷神社にも,横ずれ断層による鳥居の変位が残っている。

03 地震からの復興

  • 戦後の福井市を襲った大地震

    戦後の福井市を襲った大地震

    1948年福井市の沖積平野を地震が襲い,3,769名の犠牲者が生じた。第二次世界大戦での福井大空襲から復興しかけた頃に,大地震によって市は再び甚大な被害を受けた。市内には地震の教訓と復興への感謝を記した記念碑が建立されている。

  • 現在も残る福井地震の衝撃

    現在も残る福井地震の衝撃

    2024年北陸新幹線が福井駅まで開通し,市内の開発が進められた。観光資源の1つである福井城では,福井地震によって崩れた石垣が,地震の脅威をいまに残している。

  • 1925年北但馬地震と城崎温泉

    1925年北但馬地震と城崎温泉

    当時の震度階級による最大震度6を測定した北但馬地震は,地域全体に大きな被害を生じさせ,犠牲者は426名に上った。豊岡,城崎(現豊岡市)の被害は著しく,温泉街も壊滅した。JR城崎駅の構内では,この時の被災状況を写真で紹介している。

  • 城崎温泉地域の復興

    城崎温泉地域の復興

    城崎温泉は震災の前に戻す単なる「復旧」ではなく,以前よりも改善されたまちづくりを目指す「復興」に取り組んだ。その一環として道路の拡張や河川の護岸には,震災で崩壊した玄武洞の玄武岩がそのまま活用された。

  • 復興した女川町の店舗街

    復興した女川町の店舗街

    東日本大震災で大きな被害を受けた女川町(おながわまち)は,街の復興にあたり,少子高齢化する現状も踏まえて,コンパクトで便利な街づくりを目指した。新築された女川駅から見る街並みは,新たな観光地としての集客性を持っている。

  • 寺田寅彦旧宅跡(高知県)

    寺田寅彦旧宅跡(高知県)

    高知市には東大地震研初代所長・寺田寅彦の旧宅が保存・展示されている。表札の下には「天災は忘れられたる頃くる」という寺田の言葉が刻まれている。関東大震災から100年が経ったが,大都市における直下型地震の懸念は現代社会に常につきまとう。

  • 東日本大震災後の堤防修復(岩手県)

    東日本大震災後の堤防修復(岩手県)

    岩手県の山田湾は,東日本大震災で津波が堤防を乗り越え,船が何艘も住宅地に流れ込んだ。YouTubeなどに映像が多く残っている地域である。この写真はより高く強固な堤防を再構築しているところであり,近辺では多くの場所で地盤のかさ上げ工事が行われた。

04 複合災害

  • 柏崎刈羽原子力発電所

    柏崎刈羽原子力発電所

    全機が稼働した時の発電量は東洋一と言われていたが,2007年中越沖地震による放射線の漏出事故以来,稼働は停止されている。東日本大震災前にも大地震によって原子力発電所が損傷し,地域に風評被害を与えた例である。この教訓は福島第一原子力発電所に活かされていたのだろうか。

  • 事故1年後の飯館村の田園

    事故1年後の飯館村の田園

    かつては良質の福島米を産出していた田園地帯であるが,1年も放置されるとただの荒れ地となってしまう。廃土や土壌改良等が行われているが,以前のような田園風景が戻ってくるのは,いつになるのか。

  • 福島県環境創造センター

    福島県環境創造センター

    原子力発電所事故の教訓を後世に残すとともに,放射線とは何か,を基本から学べるようになっている。通称コミュタン。東日本大震災での地震・津波被害に加え,原子力発電所事故からの復興,廃炉への遠い道程など,様々な課題を抱えながらも明日に向かう福島県の姿勢が伺える。

  • 小・中学生による放射線・防災教育フォーラムへの取組

    小・中学生による放射線・防災教育フォーラムへの取組

    福島県内7地域の義務教育の学校で,放射線教育や防災教育の取組が行われた。県内各地の小・中学生の代表が一堂に会し,これまでの学びの共有と県内各地域への発信を行った。

  • スイス・ジュネーヴの国連事務所

    スイス・ジュネーヴの国連事務所

    自然災害の脅威は「世界の平和と安全(安定)」の維持を目的とする国連にとっても無視することはできず,1990年からの10年は「国連防災の10年」とされている。国連防災戦略事務所はスイス・ジュネーヴに事務局が設置されている。

  • HFA(兵庫行動枠組)に基づく日本からの提言

    HFA(兵庫行動枠組)に基づく日本からの提言

    第2回国連防災世界会議は,阪神淡路大震災10年後の2005年1月に神戸市で開催された。ここで採択された「兵庫行動枠組」は世界における防災の指針となり,その後2年に1度,フォローアップのために国際会議が開かれるようになった。同時期に日本から提言され採択された「国連ESDの10年」と共に,日本の重要な国際貢献と言える。

  • 第3回国連防災世界会議

    第3回国連防災世界会議

    2015年3月,第3回国連防災世界会議も仙台市を中心に開催された。一つのテーマの国連会議が3度とも日本で開催されることは珍しい。第4回国連防災世界会議はSDGsの最終年度の2030年に開催されることになっているが,主催国は未定である。

【当サイトについて】

SDGsの達成に欠かせない自然災害の削減を,防災・減災・復興の事例から考えていくためのデータベースです。日本で起きたさまざまな自然災害に対する取り組みなどから,なにができるかを考えるヒントをお届けします。
本サイトの作製は,日本学術振興会科学研究費「SDGsを踏まえた防災・減災,復興等自然災害に関する教育の総合・体系化の構築」,「SDGs,人新世を踏まえた文理融合型の地球科学教育の再構築」の助成によります。

【運営・監修】

藤岡達也 TATSUYA FUJIOKA

滋賀大学大学院教育学研究科教授。東北大学災害科学国際研究所客員教授。博士(学術)。専門は防災教育,環境教育,科学教育。一般社団法人防災教育普及協会理事・日本地学教育学会副会長。国連防災世界会議及び国連国際防災戦略(UNISDR)防災グローバルプラットフォーム等でも講演。

【より詳しく勉強したい方へ】 藤岡達也著書・編著のおすすめの本

「絵でわかる日本列島の地震・噴火・異常気象」(2018、講談社) 「絵でわかる日本列島の地形・地質・岩石」(2019、講談社) 「絵でわかる世界の地形・岩石・絶景」(2020、講談社) 「SDGsと防災教育—持続可能な社会をつくるための自然理解」(2021、大修館書店) 「1億人のSDGsと環境問題」(2022、講談社)